電子情報工学科学部2年の学生実験を担当していますが、回路関係の実験をやっていると、毎週1回は学生から、 「実験結果が理論値とこれだけずれてしまったのですが、大丈夫ですか?」 と聞かれます。 僕はだいたい「実験が正しくできている自信があるのなら、なぜ実験結果を信用しない?」と言います。 (そもそも大丈夫かどうかを判断するのは実験者です) それにしても「実験結果」が「理論値」とあっていることはそんなに良いことでしょうか? 実際の実験では「理論」で考慮されていない事柄が多く、簡略化、近似をしまくっているテキストの理論通りの値が測定できる方が不思議でしょう。 実験が正しく行えていて、正しい測定が行われているのなら、それで得られた「実験値」こそがすべて。 正しい「実験値」が「理論値」というものからずれていたとしても、どうしようもないでしょう。 もう一回測定してみても、「理論値」からずれた値が再び得られることが確認できるだけです。 むしろ実験結果から、「こういうことが考慮されていないから、テキストの『間違った』理論値とずれるのは当然」みたいな考察がいくらでもできます。 そもそも「理論値」というものはそんなに素晴らしい、絶対的な「神様」なのでしょうか? 回路にしろ物理にしろ、基本的な「理論」は、もともと実験結果を普遍的に説明するために「作られたもの」です。 ファラデーの電磁誘導の法則も、アインシュタインの光量子仮説(光電効果の説明)も、超伝導BCS理論だって、(それまでの理論で説明できない)実験結果があったからこそ、生み出されたものです。 現在においてだって予想もしなかった一見変な実験結果から新しい理論が生み出された、なんて話はザラにあるものです。 今まで存在していた理論では説明できない実験結果が出たとき、その理論は覆されなければなりません。 現在ある理論は、実験結果に基づいて、少しずつ組み立てられたものです。 複雑でかつ美しい理論も、実際の現象、実験結果にすべて基づいています。 教科書の難しく一見完璧な記述を読んでいると、あたかも最初から素晴らしい完璧な理論が存在していたかのように錯覚してしまうことがありますが、「はじめに理論ありき」ではなくて「はじめに実験結果ありき」であることを忘れてはいけないと、僕は思います。 神様は「理論値」ではなく「実験結果」。 こう考えてはいけないでしょうか? |